スターリンラインとはソ連が第二次大戦前に築いた防衛ラインの名称。当時の指導者スターリンの名をとってつけられた。そして今は軍事博物館になっていて、(一部)観光客に大人気である。ただでさえ情報のないベラルーシで、このスターリンラインは更に情報が上がっていない。
個人で日本人女性で訪れたのは羊が始めてかも知れない。知らんけど。
経緯
昨年冬、偶然知り合ったロシア人の友人Z。「今度ベラルーシ→ウクライナ→モルドバと回りたいんだけど、情報ない?」と久しぶりに連絡した。
Z「いつから行くの?」
羊「来週頭からミンスクスタート」
Z「来週末僕も行くよ!週末はお休みだから、モスクワからの行き方調べるね」
展開の急さに若干どころでなく正直引き気味の羊(当たり前)。彼はこのサイトを知っているが、どうせ日本語読めないだろうと好き勝手に以下書いていく。彼曰く、今ロシアではベラルーシが熱いらしい。近場で数少ない旧ソ連&親露の国(大概は反露)で物価安、ビザフリーだからと羊は解釈。
まあ私が旅程を変えるわけではないし、来たいならお好きに・・と一緒に回る事にした。ロシア語話者がいると旅が楽になるという下心があったのも否定はしない笑
私の旅友達はその場判断で何も決めず適当に。自由集合(タイミングが合えば)、自由解散が多かったが、彼はカタギの人間である。
羊「私先にミンスク入りしてるから、あなたが興味ないなら戦争博物館まわってくるけど」
Z「いや、僕も戦争史関連がみたいんだ。一緒に行こうよ」
旅程プランを立ててくれた。羊好みの博物館系ルートである。・・好きになっていいですか笑。
その中にこのスターリンラインが入っていた。それまで存在すら知らなかったが、調べると先駆者達のブログが出てきた。・・戦車に乗れるらしい。
面白いやないか(`・ω・´)!!
スターリンライン①
スターリンラインHP↓↓
一部英語表記をしてくれる。
行き方はめっちゃ分かりにくい!そもそもしつこく書くように、ベラルーシは英語話者が捕まらない。駅構内の観光案内所ですら英語片言、英語パンフなしである。
1番簡単な行き方はツアー。会社はいくつかあり一例↓↓
朝、夜行列車でミンスク入りした友人と合流。完全な夜型人間の羊、起きれず合流してから朝ごはん食べ、11時前に出発。
自力で行くなら中央駅からバスにのる。こっから羊は役立たずの姫と化したので、ただ友人Zを見ていただけである。
中央駅で人に聞き、バス停を探し・・(彼が)。バス停がわかりにくく…というか工事中のせいか無く、「え?ここ?」っていう道路からミニバスが出ていた。乗り合いなので満席になったら出発。因みにスターリンラインは途中下車。
このミニバス、本当に観光客にはわかりにくい。行き先によって乗り場が変わり、地元民ですら知ってる人しか知らない感じ。
バスで40分程ゆられる。途中のマーケットには黒ジャケットのみの店が。何が違うんだろう。
戦車が並ぶフェンス前で降ろされる。入り口は右側。
料金表。
1BLR=約50円、ベラルーシの物価を考えると強気の設定。え?入場料800円越え?
が、中に入って理由がわかった。寧ろ安いくらいである。そして下の方に書いてある戦車搭乗は・・・週末だからか既にいっぱい、終わっていて無理だった(´・ω・`)
がっかりしたのは多分彼の方で、内心良かったと保身に走りたい羊。搭乗体験を読む限り戦車はかなり荒々しく、私は貧弱である。
小ステージに人が集まっているので、何が始まるのかとステージ横手の飲食スペースで見物。
この戦車等々は本物らしい。ドラム缶の様な物でおかゆを作っている。
このおかゆはポリッジ(ロシア語名は忘れた)らしく、麦ではなく蕎麦の実だと思う。・・・貧しい・・とか思いながら食べるとこれが美味しく、綺麗に完食した。黒パンが苦手なので、味を知って以降食堂ではパンではなく蕎麦の実を選択することにした。
ショーが始まる
彼曰く、ここで働く人は基本現役の軍人だと。つまり・・自衛隊のイベントを常設テーマパーク化したようなものか。ベラルーシは徴兵制がしっかりある国である。そういえば10年前始めてイスタンブルの軍事博物館に行った時、徴兵中の方に案内してもらったなぁ・・と思い出した。彼は元気だろうか。
隣に座るロシア人Zも勿論徴兵済みだ。「僕は大学に行ってたし、2週間だったけどね。訓練して終わった、はは」と。日本には徴兵はない。興味があるので徴兵対象の国籍男性に会えば、取り敢えずどんなか聞く事にしている。私の聞き取りイメージはガチでしごかれる国=韓国、トルコ、イスラエル、形だけで無意味もしくはボランティアに近い=北欧、ロシア・・・あくまで私のイメージ。徴兵で死ぬ可能性がある国と無い国で分類してもいいかも知れない。
ロシア・・プーチン大統領が「誰もロシアを助けてくれない」と団結を呼びかけたように、周辺国からもアメリカからもヨーロッパからも嫌われているイメージだが・・だからこそ親露のベラルーシが面白いのだが・・ロシアよ、そんな緩くて良いのか?
私自体は徴兵に反対派ではない。寧ろ男女共にやった方がいいのでは?くらい思ってるが、現在のより特殊で専門的な兵器で戦う近代戦で1年程度訓練しても戦地という意味では役に立つのか疑問だ。第一次、第二次の接近戦が行われる時代なら国民の大半がいつでも戦える事は有意義だと思う。
現在日本なら、本土を対象にした対ミサイルや対テロの避難・鎮圧訓練はした方がいいのでは?Jアラートが話題になり始めた時、日本にはシェルターもなく、教員の知人は「(保護者向けに)避難のマニュアル作れって言われたって逃げ場所がないから形だけだよね。実際落ちたら無理だよ」と嘆いていた。
真偽は知らんがあの時みた記事で、未だ休戦中の韓国では避難経路指示の標識、地下駐は有事の際にはシェルター利用できるよう完備、避難場所にガスマスク配備とあったぞ。・・・日本はJアラートの不備で騒いでた。
写真撮らせてもらった。スラヴ系は色が白い。焼いて黒くなった肌=ゴージャス、金持ちなので、日焼けしたい人が多いらしい。Zも1日で真っ赤になっていて、日焼け止めを貸すと言ったが断られた。・・君ら頑張っても赤くなって元に戻るだけだと思うんやが。
スターリンライン②
ここでは銃どころか対戦車用も打てる↓↓↓
私は軍事関連は好きだが、武器に興味はなく戦況図を俯瞰したいタイプ。ので、武器も戦車もイマイチわからない。
彼が「これはソ連ので、これはドイツので・・」と語ってくれた。1発いくらの明朗会計で打てて、薬莢は記念に持って変えてる。写真の↑は成人男性人気で彼も試したが、音と反動が凄かった。打つ本人は耳あてをするが、横で動画を撮ってる私は生身である。耳がキーンとする。
ベトナムで打ったことあると逃げようとしたが、進めてくるのでソ連時代?のライフルを一発打ってみた。・・重い。そして当たらない。小学生ぐらいの男の子が同じ銃を撃つ時には、重さで銃口がかなり下がり、策にあたって跳弾しそうで怖かった。
怖くないよ、大丈夫と彼が隣で言ってる。違う、私が怖がってるのは銃じゃなくて、この安全管理の脆弱さだ。
この射撃場の真後ろは通路で、常に人が行き交っている。そして見ての通り吹きさらし。弾は当然実弾。基本人を信用していない人間の発想として、「振り返って撃ったらそのまま大事件になるんでは・・」という恐怖。ガチでやろうと思えば私でも出来るだろう(そして次の瞬間には現役軍人に取り押さえられるだろうけど)。
日本の安全管理って人を信用できない人間が石橋を叩いた成果かなと思った。
パーク内には戦車等幅広く展示。
よじ登って喜ぶのは小さな子供達だけでなく大きな子供たちもである。
さて。次に移る前に頭に入れておかないといけないのが、ソ連が関与した1978年〜1989年のアフガニスタン紛争である。これはソ連におけるベトナム戦争と呼ばれ、当時ソ連だったここベラルーシでも大量の戦死者を出した。ベラルーシで戦死者の慰霊関連があれば、ほぼ対ナチスか対アフガニスタンの印象だ。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia
不勉強で申し訳ないが、超簡単に書くと
アフガニスタンの共産化に対し、イスラム教の教えに沿わないと現地民大反発。政権が危うくなったので、偉大なるソ連助けてと政権トップが泣きつく。ソ連(共産)対イスラム戦士(反共産)。最終的にイスラム戦士粘り勝ち、ソ連撤退&アフガニスタンの政権交代。
・・間違ってたらご指摘ください。
タイミングよく私は一時帰国時にわざわざ手に入れた(電子版がなかった)アフガニスタン紛争の本を読書中であった。アフガニスタン側のな(`・ω・´)!!
長倉洋海氏の「マスードの戦い」。アフガニスタンのイスラム戦士指導者、のちに国政にも大きく関わったアフマド・シャー・マスードに長倉氏が同行した名作。あくまで長倉氏からみたイスラム戦士達なので、感情移入しやすくて・・国の命令で戦って亡くなった両国戦士たちには敬意をはらうが、ソ連側への同情心は既に皆無である。
Z「ソ連とアフガニスタンが戦ったの知ってる?ベラルーシも当時はソ連だったから一緒に戦ったんだ」
羊「もちろん知ってる(読んでる)」
善悪の判断は私はしない。聞かれても答えない。
基本は侵略・介入した側に不快感を覚え、自国の事は自分でさせろ。介入には介入側のメリットが何かしらあった為で、決して解放戦や平和の為ではないと思っている。が、それを主張すると大東亜戦争は何だったのかと。侵略したどころか秀吉まで遡らないと戦った覚えすらない隣国はさておき、東南アジアでは第三者の国で対イギリス、対アメリカと戦争を繰り広げた。当時は植民地だったので、大東亜は侵略と見るか、植民地からの解放と見るか、白人対日本の人種差別解放とみるか・・史実が正しいかすらわからないし、史実が同じでも時代が流れ価値観が変われば見方が変わる。
私が第二次大戦に思っているのは「植民地をがっつり持ってる(いくらでも搾取できる)国が、世界恐慌時にブロック経済をひいた事の責任を問わずに、敗戦国の責任を問うな」である。
では。上記アフガニスタンとベラルーシの関係を理解した上でショーへGO!
スターリンライン③
皆んながぞろぞろと屋外大ステージへ移動するので流れにそってついて行く。
Z「今からショーがあるんだって。最初は昔(1978〜1989)の戦いで、2部で現在だって」
英語のアナウンスがあるわけもない。最初にストーリーの流れや茶番劇・・おじいちゃんが昔のアフガン戦争を語るシーンからスタート・・説明を兼ねて随時アナウンスが入り、彼の要約を聞きながら理解。
広い郊外にアフガニスタンを再現。右奥に広がるのは畑とど田舎の村である。近隣住民はどんな気持ちなんだろう。
以下解説は、彼から伝言ゲーム的に伝わった内容と私の脳内補完である。間違っていたらごめんなさいm(_ _)m
アフガニスタンの伝統的な村。女達はブルカを着て過ごす。そこが紛争状態になり、イスラム戦士ムジャヒディン達が駐留する。
見張りを立て、中では司令官?が作戦を話し合う。ソ連は鎮圧する為に現地へ向かう・・平和のために。
写真にはとってないが、この建物右の監視兵。建物内を向き、完全によそ見状態。あ、彼から死ぬなと思っていたら、案の定ナイフキルされ、右側から鎮圧開始。
戦車と共に乗り込む。
なかなかに煩い銃声。火炎も時折あがり、USJも真っ青の仕上がり。戦場カメラマン役がいたりと配役も凝っている。
度々客席が「ウラー!!」と歓声が上がり大盛り上がり。キリル文字で「Ура」と書いてウラー。万歳の意味で、突撃の際など使われる歓声らしい。
鎮圧完了。
最後にキャスト全員で挨拶して第1部終了。30分くらいあり、かなり見応えがある。そのまま休憩を挟み2部へ。
第2部。これに関しては歴史背景がわからん!アフガニスタンはずっと揉めているのでソ連対アフガン戦争ではなく、その後のテロ関連だと想像・・
左に戦場カメラマンの姿が。
アナウンスがわからない私は服装判断しかできない。まあ、最終的に勝つ方がベラルーシ軍側なんだろう。「ほら、見て!」と言われ見上げると、ヘリが飛んできた。地上は火炎と爆音が上がっている。
ヘリから降下して戦闘参加。
因みに全体像はこんな感じ。
鎮圧が完了し舞台挨拶。1部のストーリー仕立てより、鎮圧ショーメインの2部の方がアナウンスがわからない身としては楽しめた。
ヘリからの降下は楽しめたし、これリアル軍人がやってるのかと思うと・・改めて凄いなあ。戦場に行くよりは安全だろうが、やってる内容はかなり過激。これならあの入場料の価値がある。
中国語みっけ
この中に共産側以外からの観光客は私以外いるのだろうか。
ショーを見ながらずっと思ったのは・・これ、アフガン側が見たら激怒だろうな。そしてソ連側、撤退したやん・・である。ベラルーシ国民の不満をそらしたり、強いベラルーシをアピールする為のプロパガンダの意味合いも大きいのだろう。
スターリンライン④
対アフガン戦のショーが終わると近くでまた別のショーがあるとアナウンスが入り、ぞろぞろと移動する。
次は軍人による模擬試合。
柔道と制圧術を組み合わせたような・・サンボ??
綺麗に決まった背負い投げ。
10分くらい選手交代しながらサクサクと型を見せてくれ、全員で最後に前に並べてあるコンクリブロックを頭突きで砕く。最後の人のみ砕けなくてお隣にぶつけて割り、観客の笑いもさそった良い演出。
撮影タイム。右側の旗はベラルーシ軍の旗かなんかだそう。
ショーはこれで全て終了。あとは展示されている兵器類を見て回った。
これがミグか。知識のない私が知ってたのはこれだけ。
航空機に戦車に・・中に入るZの写真をパシャパシャ。彼は機械系が元々専門で、内部の構造とか見るのが楽しいらしい。
初めて見たのが、対地雷の道路をならしたりする装備たち。何に使うか忘れたが、この機械美はちょっと凄い↓↓
手前の丸いコンクリの建物は何でしょう?
戦場での兵士の宿舎?になるらしい。爆撃に耐えれるようコンクリの厚い壁・・たぶん。ナチスのガス室かと思ったわ。
そろそろ帰ろうかと出口に向かう際、もう一つ見忘れに気づいた。これは入ってすぐ右にあるバンカー。
中は真っ暗なので、各自スマホのライトで勝手に見て回る。
同様の機銃をみつけ、(弾はないけど)セットして見ようとワイワイ盛り上がる男性陣。初対面同士でフランクに盛り上がるのは日本文化にあまりないので、人懐っこい国民性だなと思いながら見ていた。
外には塹壕が。
低い。
このクイは戦車どめだそう。
駐車場には「ミンスク」ブランドのバイクが。
出口のスターリン像を一瞥してスターリンラインを後にする。
帰りはまたミニバスを捕まえミンスク市内に帰る。乗合しかも途中下車点なので、満席だったら次のバスになる。運悪くちょうど2席足りなかった。彼が運転手となにやら交渉し、立ち乗りさせてもらう。「警察にバレたら降りてね」らしい。
無事にミンスク着。朝から半日ほどスターリンラインで遊んだが、ここは確かに見応えがあって来る価値あり!出来れば数人で訪れてワイワイしたいし、戦車にも乗れた方が楽しいと思う(`・ω・´)
予約やショーの時間など、来る際は調べてみてください。以上、スターリンラインでした🐏🇧🇾